Re-set

日々の記録と記憶

■福島(2)

yoshioka ko
今日、福島は一日中雨が降ったり止んだり。訪ねた先の公民館では、朝10時からお年寄りたちがカラオケに興じていた。

その公民館の玄関脇の階段に腰を下ろしていた70歳だという男性は、「死んでも東電を恨んでやる、東電を切り刻まなければ収まらない」と右手で自身の胸を叩きながら、何度も繰り返した。

原発事故から1年半。故郷を追われた人々の怒りはますます深まっているように思えた。

■福島(1)

yoshioka ko
某局のドキュメンタリー番組プロデューサーとして、若い担当ディレクターと福島の現場に来て、ほぼ一日、主人公やその周辺の人々に出会った。「311」だけではなく、それから1年半が経つなかで、想像できない出来事が起きていた。

現場から戻り、ディレクターと遅い夕飯を食べながら、当然ながら、これまでと、これからについて、取材の軸をどう修正したり、深めたりするか、という話になった。

いろいろ議論が積み重なったが、結局は、取材相手との信頼関係をいかに深めるか、そのために、自分には何ができるか、何をしなければならないか、というドキュメンタリー基本のテーマに立ち返った。

有意義な議論だった。

■プロセスを欠いた「結論」

yoshioka ko
 現在の日本が抱える三つの問題。ひとつは尖閣。ひとつは原発。そしてもうひとつがオスプレイ配備問題。

 いずれも国の「領土」「エネルギー」「安全保障」という基本に関わる問題だ。

 にも関わらず、尖閣国有化で沈静を目指したはずの思惑がはずれ、原発ではゼロを目指すといいながら閣議決定さえできない有様。そしてオスプレイは、機体の安全性に問題はなく、幾多の事故は人的ミス、とアメリカの言い分を了として沖縄に配備される。

 どう考えても、なぜこういう結論になるのか、の疑問だけが残る。

 何ともまどろっこしい夏の終わりに近づいた日本の景色だ。